18年と半年前
「ねえ、見てよこの子の誕生日!」
新婚間もない僕たち夫婦はその日、何となく近くのホームセンターに立ち寄った。
自然と足が吸い込まれたペットコーナー。
いつもどこのペットコーナーを覗いても何となく可愛いな、と流し見をするはずなのに。
一匹のミニチュアダックスの男の子に何故か目線が固定されてしまう。
自分で出したカリカリのウンチ。
小さな手に取って、咥えて遊んでいる姿に。
何故目が離せないんだろう?
僕と子犬の間以外、間違いなく時間が止まっていた。
そんな時、冒頭の言葉を妻が発し我に返った。
ケースに貼られている生年月日は、僕たち夫婦にとって一生忘れることのない数字の羅列だった。
『結婚式の日』
2ヶ月前、大阪で挙式を行なっていたまさにその日、この子は静岡でその産声を上げていたのだ。
自然と僕の口から、「この子を触らせて欲しい」という言葉が店員さんに向かって出ていた。本当に無意識に。
小さな体を抱き抱えると、一生懸命僕の顔までよじ登ってきて、目の近くをペロペロ舐め回してきた。
運命だ。
妻も感じ取るものがあり、現実的ではあるが価格を見て『何とかなるかな・・・』という言葉を発した瞬間。
僕は昔から猪突猛進型なので、後で後悔することも多々あったが、何故かその瞬間冷静になり、仮押さえとしてもらった。
帰りの頭の中は、飼わなければ、いや世話はできるのか?と堂々巡りだった。
あの子が舐めてくれた目の周りは、何故か痛くそのうち若干の腫れが出てきていたが、そんなのはお構いなしだ。
妻とよく話し合ったが、最後には理屈よりも気持ちが勝ったのだ。2週間後、その子は僕たちの車に乗っていた。
段ボール箱に入れられ、小さな空気穴から鼻をクンクンさせて。初めて乗る車だから、途中で吐いてしまったけれど。
僕は子供の頃、二匹の犬を実家で飼っていた。二匹が亡くなった時、心が張り裂けんばかりの辛さだった。
またあの思いを味わうことがわかっていて、
どうして今僕は小さな犬を家に迎え入れているのだろう。
辛かったのに、苦しかったのに。
もう2度と犬なんて飼わない、って誓ったはずなのに。
でも、今この手に抱いている小さな男の子。
つぶらな瞳で、小さな手足で、一生懸命遊んで。
もう迷わずに、最後までこいつを面倒みてやろう。運命を感じたならば、その運命に全力で答えよう。
それからこの子は、僕たち夫婦の長男となった。
しばらくは子供は作らず二人だけの時間を楽しもう、と妻と決めていたが、早くも一人出来ちゃったね、と妻はその笑顔とともに嬉しそうにしていた。
それから3年の間、この子は長男としての愛情を一心に受け短い手足を懸命に動かしながら僕たち夫婦、親戚一同から沢山の笑顔を引き出してくれた。
長男が3歳になった時、家族が増えた。
この子にとっては妹、僕たちには長女。
初顔合わせの時、僕の手に抱かれた長男は物凄くイキった顔をしており、バッチリ写真に写ってしまった。ケッサクな顔だ。
きっと俺が長男だ!と言っているに違いない。今見返しても声が聞こえてくるようだ。
そして長男が5歳になると、また家族が一人増えた。弟だ。
やはり人の子の世話は大変。
僕たち夫婦の愛情が満足に伝わっていたかはわからないが、それでも長男はいつも通りの愛くるしい姿を見せてくれた。
そんな中、僕は会社で地方都市への勤務を命ぜられた。
悩んだ末、単身赴任を決断。子供たちと離れての生活となった。
月に1〜2度、夜行バスで土曜日の早朝家に帰る。
どれだけこっそりと鍵を開けても、開いた瞬間長男は吠えまくる。
慌てて側によると、全力で飛びついてくる。
そして赴任地に帰るときは、寂しそうな声で鳴いてくる。
喋らないが、全力で愛情を示してくれる。
会えない時間が長い分、愛情は深まっていった。
そしてこの子が8歳の時、僕は東京行きを命ぜられた。
妻は「ついていく」と一言。
関西での生活を捨て、家族全員で暮らしていく決断をしてくれた。
僕はその時、この子を妻の実家で飼ってもらえないか、と台所事情から弱気にも発言してしまった。
そんな僕に妻は「何があってもこの子は連れていく。家族だから」と一言。僕は自分が恥ずかしかった。
最後まで責任を持つと決めたのだろ?最後までやり通せ。
ペットのために社宅に住まず、自腹で高い家賃を払うなんて、と揶揄する声も社内から聞こえたが、何も恥じることはなかった。
妻と二人の子供たち、そして長男。
朝起きたらみんなの寝顔が側にある。
単身生活を経て再び皆と過ごせる日々は、
苦しくても、揶揄されてもかけがえのない幸せな日々となった。
寂しかったのは、子供たちはすくすくと成長していく中、長男はだんだんと衰えていくことだった。
それでも病気らしい病気もせず、家族がご飯の時は吠えまくり、インターホンがなれば吠えまくり、遊べと言ってはおもちゃを持ってくる。
愛らしい姿は幾つになっても変わらなかった。
人間は外観で加齢がわかるのに、犬はわからない。
いつまで経っても出会った時のままの姿だった。
子供たちもいつの間にか大きくなり、中学生になった。
受験をして二人共合格し、その喜びを長男も共有した。
喋れなくても、家族みんながいっぱい声をかけた。君のおかげだよ!
様々な場面で、長男は皆の勇気の素となってくれていた。
どんなに嫌なことがあっても、長男を見れば気が晴れた。
そして色々なところへ一緒に出かけた。
他のお友達と出会ったときは、何故か尻尾を丸めて逃げることが多かったけど。
本当、沢山の思い出をその小さな体から与えてくれた。
この1週間、苦しかったかな。
水しか飲まなくなってしまって、それでも何とか立ち上がったり、オシッコもちゃんとしていたね。
いきつけの獣医さんが『この子の生命力は凄い。今まで何度も復活してる。心臓の音も強いよ』と驚くくらいの子だった。
そう、1年前も同じようなことがあった。
僕は東京で数年の生活を経たのち、再び単身赴任の生活を今でも続けている。
1年前、苦しそうな長男を置いて赴任地に戻らなければならず、もうこれが最後かと後ろ髪を引かれる思いで新幹線に乗った。
その数時間後、送られてきた動画は美味しそうに鶏肉を食べる姿。
僕はその時、生命力の強さに畏怖の念を抱いたと共に、17年前の運命の糸は強く残っていることを感じた。
それから1年、長男は一生懸命に生きてくれた。
人間で言えば100歳近い。
運命の糸が切れる日を身近に感じながらも変わらぬ姿を見せてくれることに、永遠に続いてくれたらいいのに、との思いを募らせるばかりであった。
この1週間、もう終わりは近いと冷静に感じていた中、僕は母が悔やんで何回も発していた言葉を思い出していた。
もう数十年前のことだ。
「もっと早く気づいてあげていればよかった」
実家で飼っていた二匹の犬は病気で亡くなったのだが、その半年前から普段の様子と異なると感じることがあった。
病院で診てもらったら?と母に相談したがまあ大丈夫でしょう、と連れていくことはなく、気がついた時には手遅れだった。
何であの時、僕は母に強く言わなかったのだろう。
僕は長男の姿を見て、その時の思いが蘇った。
妻に「出来るだけ精一杯のことをしよう」と相談。
妻も後悔したくない、と同意してくれ、
行きつけの病院の先生に僕たちの想いを伝えた。
先生も家族皆が思うのであれば、医師としてできる限りのことはする、サポートする、と言ってくれた。本当にいい先生に巡り会えれた。
1年前の奇跡を願ったけれど、叶わなかったね。
まだ僕たちと暮らしたい、という思いが勝ったから今日まで来れたのかな。
18年と半年前、僕の腕の中で力強く動いていた君。
最後も僕の腕の中でと思っていたけれど、1日間に合わなかったね。
でも、僕の帰りまで待つということは、あと1日苦しむということだったよね。僕のわがままよりも、神様の導きが勝ったんだよね。
妻・娘・息子に看取られて、妻の腕の中で安らかに逝ってしまった。
現代の情報技術の進化によって、遠い地から見守れたのが唯一の僕の救いだった。
多くの喜び、慈しみ、愛を与えてくれて本当にありがとう。
運命の糸は切れても、僕たちの心の糸は切れていないよ。
君が僕たち夫婦を強くしてくれたし、二人の子供を成長させてくれた。
数多の言葉よりも、
君の姿は僕たち家族の心をたくさん震えさせてくれた。
本当に感謝の言葉しかない。
最後の最後まで、立派に生を全うしたその姿。
僕たち家族も見習わなければならないね。
いつか僕たちが再び会うその日に、君に恥ずかしい姿を見せることの無い様、これからの人生も全力で生きるよ。
初めて君を抱いた日、全力で僕の顔に上がって来たあの時を忘れない。
長文を最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
あの子が虹の橋に向かってから4時間が経ちます。
覚悟はしていましたが、やはり辛いです。
思うがままに書き殴ったら、多少は落ち着きました。
明日はあの子に会いに行きます。
「煙々羅」という曲があり、以前から好んで聞いておりました。
改めてその歌詞、メロディが心に響きます。
歌詞のみ一部ご紹介しますが、ご興味があれば是非一聴ください。
『千萬天華咲く光来 其は刹那の風
定め帰すのは 会者定離の流
然れど迴り 再び逢う
然れば萌み 必ず逢う
此処で逢える』
ありがとう。プルート。大好きだよ。