またいっぱい遊ぼう

2010年の春、従兄弟のたっちゃんが空へと旅立ちました。
従兄弟ですが、本当の弟の様に過ごしてきたので、カテゴリは弟にしています。

享年25
人生まだまだこれから、やりたい事もたくさんあったと思います。

3歳年下のたっちゃんは、北九州の母方の実家で祖父母達と一緒に暮していました。
私は両親と3歳年上の姉と共に大阪で暮らしていたので、会いに行くのは夏休みや冬休み等の長期休暇の時でした。
私にとって、おばあちゃん家に行く事はたっちゃんと遊べる事でもあったので、毎回楽しみで仕方ありませんでした。

終業式の日のうちに新大阪から1人で新幹線に乗せてもらい、ワクワクしながら小倉へ向かいました。

ひとりっ子のたっちゃんは、私や時々同行してた私の姉が来るのをいつも楽しみにしてくれてました。
北九州に滞在してる間は、朝から晩まで、たっちゃんと遊びました。
近くの川へ行ったり、セミとりや早起きしてカブトムシを探しに、祖父母や叔母にプールに連れて行ってもらったり、家にいてもビデオ見たりゲームしたり、退屈した覚えが全くありません。

ねぇちゃん、ねぇちゃんと呼んでくれ、自分の友達にも、
『僕のおねぇちゃんよ』
と、紹介してくれました。

そして、楽しい時間を過ごし、私達が大阪へ帰る時には、毎回決まってたっちゃんは家の中のどこかに隠れてしまいます。
ねぇちゃんが帰ったらさみしい
と、叔母にごんたしていた姿は今でも忘れられません。
お別れは辛いよね、私もいつも涙をこらえていました。
大人になれば、数ヶ月、1年なんてあっという間に過ぎてしまいますが、子供だった私達は、毎回永遠の別れの様でした。
そうそう、寂しがり屋だった祖父も、いつも泣いていました。
『寂しくなるねぇ、また遊びにおいでね』って。

それからお互い中学、高校と成長につれ、会う機会も少なくなっていきましたが、たっちゃんを本当の弟の様に思っていた事は変わりませんでした。
たまに会うと、
『どうも』なんてよそよそしくされた時は思わず笑ってしまいました。
ねぇちゃーんって、いつもくっついてきてたクセにね。

そして2010年のお正月、私は両親とともに北九州を訪れました。
あの時はお互い社会人になり、両親も交えて久しぶりに遅くまで思い出話等に花を咲かせました。
まさか、あれが最後になるなんて思ってもいませんでした。

2010年3月27日、私は外出しており、しばらく携帯を見ていませんでしたが、気付いた時にはものすごい量の着信、ただごとではない事はすぐにわかりました。
誰?誰が死んだの?
と思いながらコールバックすると、そこで聞いた名前は一番想定していなかった、たっちゃんでした。

前の日の晩から、父と父の友人と共に夜釣りに行っていたところ、防波堤の上で行方不明になっていて、そして27日、ダイバーさんが見つけて下さいました。

正直、当時の事はあまり考えない様にしていたので、こうやって思い出しながら文字に起こしていく事は辛い作業ですね。

私はたっちゃんが生きていた事をこれから先も伝えていきたいです。
時と共に忘れてしまう事はたくさんあります。
忘れてしまった方が楽な事も…。
でも、たっちゃんは間違いなくこの世に生きていた。
私の下手くそな文章で、ああ、そんな人がいたんだな、くらいに思ってもらえたら、私もたっちゃんも幸せです。

子供の頃はたくさん遊んでたくさんケンカもしたけど、そのどれも今でも眩しい思い出です。
またお空で会えるのを楽しみにしています。
そしたらまた、たくさん遊んでケンカしよう。
おじいちゃんやおばあちゃん達と、もう少し待っていてね。

いつも見守っていてくれて、ありがとう。

このノートを空へ

ゆくももこさんの辛い気持ちが伝わってきました。
私もたっちゃんさんに会いたくなりました。

私の弟も25歳であの世に行ったので、共感がわきました。
この間、お坊さんに私の亡くなった弟のことを相談したら、彼はこの世での生を終え、浄土で生きていると教えられました。
そう思ったら少し気が楽になりました。

弟に会いたいですよね。

僕はお寺や神社で言葉を弟に伝えるほか、夢で弟に会うことにしています。
しかし、寂しいですね。亡くなったことは変わらないから。

ゆくももこさん、たっちゃんさんと親しい人たちの心が安らかでありますように。
私もあなたたちのことを祈っております。

あき さん

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