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老猫の最後について

私の家の20歳になる老猫が最後の時を迎えようとしています。
年齢的なもので腎臓が弱っていましたが、4日程前からご飯も食べず、水はかろうじて飲んでいますが半目を開けて横たわっております。
一時的な措置として皮下点滴をしていましたが、あくまで延命処置でしかなく回復する事はもうありません。嫌いな病院に連れて来て無理矢理生かすよりは自宅でゆっくりさせよう。そう思い昨日で点滴をやめました。
覚悟を決めたはずが、1秒ごとに弱っていく子を見たり、ネットで点滴をやめると苦しむ、餓死は辛いなどの記事を見ると本当に自分の選択は正しかったのか?この子を苦しめるだけでは無いのか?と葛藤しています。
私が1番嫌なのは、それらの葛藤が全部自分の為なのでは無いかと思う事です。
私が選択した事でこの子が苦しむのは嫌だと
仕事中に死んだら嫌だと
悲しんでいる自分を哀れんでいるだけでこの子の事を一つも考えやれて無いのではないかと
私が休みの間に逝ってくれないか?とさえ考えているようでひたすら自己嫌悪におちいっております。
犬や猫には人間で言う所の極楽はあるのでしょうか?
苦しいままに命が終わり終わってからも苦しむのでしょうか?
一生懸命生きてきたこの子に私が最後に何がしてやれるのでしょうか?
アドバイスを頂けましたら幸いです。

お坊さんからの回答  3

その時まで、、

私も20年間、我が分身ともいうべき黒猫のマニスと暮らして来て見送りました。
20年も一緒にいると以心伝心する存在感があって互いに何が必要か分かり合えるように思います。
マニスは死の数日前まで、私の数日間の出張を老衰の衰えのなかで我慢してひとりで寺の留守を守って待ってくれていました。私が帰ると、座布団の上に座ったまま顔を持ち上げて、猫とも思えない大きな吠えるような声を上げて待ちかねていたといいました。
初めて聴く声でした。寂しかったろうと思い、抱き上げて摩ってあげました。
マニスは毎夜私の寝床に潜り込んで十分ほどいて、納得するとスルッと抜け出して定位置の座布団に戻って睡るのが常でしたが、死の前夜は私の横に潜り込んで朝まで眠っていました。
初めて一晩ソの字になって眠っていたのです。
老衰は目に見えて痩せてくるのですが、自然の推移ですから獣医に連れて行ったりはしないで、見守っていました。
来客があって、私が見送りに廊下へ出て挨拶して部屋に戻ったその1分ほど離れた間に、マニスは息を引き取っていました。
抱き上げると干物かと思うような軽さでした。
どうか自然の成り行きのまま見守ってあげてください。死に向かって苦しんでるのではありません。
死は最後の快楽 喜びでもあるのです。
楽しんだ一緒だった日々の思いが救ってもくれます。