お父さん、会いたいです
お父さん、こんなこと言ったら悲しいかな。
でも、私たちはいろいろうまくいかない親子だったね、、、。
昔、本当は全然うまくいっていないのに、うまくいっているように見せることに努力するのは馬鹿げている、うまくやることそのものにどうして真っ直ぐ向き合わないのかって、私がそう言ったら、お父さんは怒り、お母さんは泣いたっけ。私の言葉は二人にとって辛辣で有毒だったのだろうか。
ま、家族全員それぞれ頑張ってはいたけれど、間違った努力だったというか、とにかく、どうしてだかうまくいかない一家だったんだよな。仕方ない。
本当に、もう、仕方ない。
それもだんだんに終わってゆく。お母さんもお父さんも私がとても苦しい死に方で死なせて、やがて私も死んでゆく。それまでは生きていくよ。
お父さんの晩年と最期は、誰に何をされても、死ぬまで生きなくてはならない命の姿でした。
あんなに苦しい中で生き切ったお父さんとの数日を、どう受け止めていいのか、今はまだわからない。そういう縁が整ってのことだったと、言葉にすればそうなんだろうし、臨終の善悪を申さずとも戴いているけれど。
脳幹含めあちこち脳出血していたはずのお父さんが、亡くなる前の午後にあんなに目を輝かせて笑ってくれた、あの笑顔、そのまま私の脳内に焼き付いています。俺はいない方がずっとマシなキーパーソンだったのに。
我慢強いお父さんは、ない方がマシな医療や薬物、いない方がマシな子、ない方がマシな介護保険サービスのせいで、全身ボロボロだった。医師も事業者も、もっとよく選ぶべきだった。適当に選んでしまった私の責任だ。お父さんを粗末に考えたということ。私は、いない方がマシだった。
だから、という訳ではない、極端な考えなのは承知だけど、解剖になっても、私が逮捕されても、お父さんは大好きな自宅で孤独死した方が楽だったのではないかと、どうしてもそう思わずにはいられない。
そう思う私の先行きは、これまたセルフネグレクト認定、医療福祉のもとでの薬漬けかなあ、、、。
それでも、生きていかなくてはならないんだね。辛いことです。
お父さん、会いたいです。また会いたい。一切の苦しみのない世界で、会いたい。南無阿弥陀仏。