唯一の人でした
亡くなって10年、命日のあたりに夢に出てきてくれましたね。
「〇〇〇ちゃんはそのままでいいんだよ・・・」って
顔を撫でてくれました。そして聞き覚えのある声でした。
実際の私はそのままでいいはずのない状況ですけれども
親にも言われた事のない、ありがたい言葉でした。
祖父母、両家で4人いるなか、唯一まともな人、
ホームドラマに出てきてもおかしくない人でした。
他は散々、言葉も出ないほど。いないものと思っていました。
私は子供の時に精神を病んだため、人との接触を避けており
家に来ていただいた時も孫らしい対応はできませんでした。
あの時の事は、子供で病気だったとはいえ、後悔しています。
私に蛍を見せようと、父に託していただいたこと、
いつも手作りのお饅頭を持たせていただいたこと、
すべて覚えています。作り方を聞いておくべきでした。
貴方の存在がとても大きかったと、今は強く思うのです。
山に囲まれ交通の便も悪く、子供や女一人では行きにくい場所。
そもそも息子である父が、他の兄弟より離れていたため
私は一番会っていない孫でした。
孫らしい事を何もしてあげられなくて、本当に申し訳なかったです。
私にとっては貴方の存在がとても大きかったと感謝を伝えなければ
いけませんでした。お元気なうちに。
私がたまたま電話に出ただけで、嬉しいよって泣いてくれた人。
そんな人はきっと、一生あなただけです。
最後にお会いしたのは老人ホーム、痴呆の症状が進んでいて、
一方的なおしゃべりだけで、会話というものではありませんでした。
私どころか息子である父の名前も出ませんでしたが、
私たちが帰る時、最後の事、憶えていますか?
長男の以外の名が出ていなかったことに私は
「ウチのお父さん、忘れられて可哀想に・・・」そう思っていました。
地元を出た息子だから仕方ないかと、でも違った。
「この人はね、一番仲が良かったんだよ」
急にそう話してくれましたよね、いきなり喋り出したというか。
エレベーターを待っていた時、横にいる父に向かって。
家族皆とても驚いて。
思い返すと、実家に帰ったときは離れていた分、他の兄弟とは違って
祖母の話を親身になってよく聞いていたはず・・・。
そう、確かに間違っていない!のです。
「名前は出なくなったけれど、
父のことをちゃんとわかってくれていたんだ。」
「やっぱり、この人は違う」とても嬉しくて、感動しました私。
そして父が救われたようで安堵しました。
他の祖父母とのエピソードは何もないに等しく、
最後にこの思い出を残してくれたことに、ただ感謝しかありません。
私の母は実の親である祖父が亡くなっても、泣きもしなかったのに
あなたのお葬式では、なぜか号泣していました。
私の知らない所で、母には良くしていただいたのでしょうか。
実の親が酷かったから余計でしょうけれど、
あんなに泣く?お姑さんだよ? 体を支えるほどでした。
おばあちゃん、ありがとう。
あなたは私にとって「唯一の人」でした。
遠い昔、弟がそちらへ旅立っていたのですが、
会えましたでしょうか?
私がそちらへ行くまで、弟を可愛がってあげてください。
5番目の孫より。