最後まで母だった

私の母は姿勢良く歩く人だった。
癌を告知されたのが50代、それから10年間闘病生活を送っていたのだが、抗癌剤によって脱毛が起こっても、手術によって体に傷を負っても、
品良く生きることをやめなかった。これはもう母の性分と言ってもいいだろう。

ウィッグを被り、大きなイヤリングをつけ、化粧をする。
一番重要なポイントはイヤリングで、「歳を重ねた女性ほど大きめのイヤリングを。そして髪型はショートヘアね。髪にツヤがなくなるからロングヘアはかなり手入れしないと厳しいの。」と言っていた。

また、癌と薬によって浮腫んだ足にも合う、3センチ程度のヒールがある靴を買った。

母のルールは「安くて良いものを」だったので、コスパ重視の安いお店で靴やアクセサリー、服を揃えていた。

そんな母が夏の暑い日に亡くなった。
亡くなる一ヶ月前は壮絶なものだった。
癌が全身に渡り、腸には穴が開き絶食することになり、腹水・胸水に苦しみ、痛み止めで意識が朦朧としていった。

数ヶ月前まで一緒に買い物をしていたのが嘘みたいだった。
服屋で、あのデザインはダサいわね。今年のトレンドはこれなのね。なんて言っていた人が何も出来なくなる様子はたまらなかった。

辛くて辛くて、意識が朦朧とし寝ているのか分からない母の側で何度か泣いたのを覚えている。
手も筋肉が落ち、骨と皮だけだった。

亡くなる1週間前には更に深刻な状態になる。
起き上がることも、ナースコールを押すことも出来なくなり、かろうじて喋ることができていたのにそれも難しくなっていた。
定期的に「お水飲む?」と声をかける。するとコクリと小さく頷く。
私はペットボトルの蓋を開け手渡した。
母はそれを受け取り、飲もうと試みた。
だが口に水を含む前にペットボトルを落としてしまう。
水が入院着を濡らす。
私はそれを見て「昨日まではペットボトルを持てたのに」と小さな絶望を感じる。
慌てて「支えてなかったね、ごめんね。入院着濡れたから拭こうか!」と言ってハンカチで拭き始めた。
すると母はそのハンカチを私から取り、自分で拭き始めた。

痩せ細った体で、一生懸命拭く姿に、私はなんとも言えない気持ちを吐き出すように泣いてしまった。
母はゆっくり、でも力強く濡れた入院着を拭いた。
そして自分が納得するほど拭き終わった後、乱れた入院着を着直した。
筋肉が削げ落ちた痩せた手で身嗜みを整えたのだった。

母だった。

筋肉が落ちても、痛み止めで意識が朦朧としていても、声が出なくなっても、動けなくなっても、
私の母だった。

お洒落に気を遣い、みっともない事を嫌い、いつまでも気高く生きる
尊敬に値する女だった。

そして母はそんな気高く生きることを私に見せてくれた1週間後
私を含めた家族全員に見守られながら最後の息を吐いて眠りについた。

お母さん、ありがとう。
母として、そして1人の女性として見習うべきことを最後の最後まで教えてくれてありがとう。
私は貴方のように生きたい。

このノートを空へ

このノートに思いを伝える

投稿するにはログインしてください。

コメントの投稿

運営委員が確認した後掲載されます。

0/300文字

らら さんに、共感や心に残ったメッセージを伝えませんか?
温かいつながりをみんなで。

あわせて読みたい お坊さんのことば