おじいちゃんへ
おじいちゃんが亡くなってからもう半年が過ぎてしまうのがあっという間で不思議です。
おじいちゃんとの一番古い記憶は近所の公園に遊びに連れて行ってくれて、高い遊具に登るわたしを見守っていたことを覚えています。
わたしや弟を喜ばせたくておもちゃを何でも買ってあげようとしてくれたけど、小さい頃からわたしはおじいちゃんが元気でいてくれるだけで嬉しいからおもちゃは要らないよと思っていました。
実際に、買ってもらったおもちゃよりもおじいちゃんとの何でもない会話の場面の方がわたしの記憶に残っています。
わたしが大きくなるとなかなか会いに行けなくなって、孫が生き甲斐のような人だったおじいちゃんは寂しかったと思います。
あと、すごい心配性な人だからわたしが大学をうつ病で留年したことは親族皆でおじいちゃんに内緒してたのはごめんなさい。
90歳になって食欲も無くなってきてついに入院になってからは、他の家族が声をかけても返事ができないくらい弱ってしまったのに、わたしと弟が来た時は「ありがとう」と声を発してくれたのがとても嬉しかったです。
最期は老衰で亡くなって、お葬式が終わった後「もう二度とおじいちゃんと話すことができない」とお布団の中で考えると悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。
ところが、ある日わたしの夢の中でおじいちゃんと再会できました。
幼いわたしがおじいちゃんの運転する車に乗って旅行をするという夢でした。
大きな古いお寺の前から花を撒きながら出てくる金色の仏像のお神輿?のようなものを担いだ行列をわたしとおじいちゃんが手を合わせて見ていました。
そして最後にわたしが「おじいちゃんともっと遊びたかった!!」と叫んだ所で夢から目が覚めました。
夢を見た日はコロナ騒ぎで参加できなかった百箇日法要の日だったのでおじいちゃんが戻ってきてくれたのでしょうか。
わたしの気持ちがおじいちゃんに伝えられたこと、おじいちゃんは無事に仏様の世界へ行けたのだと安心しました。
また夢で会えるのを待っています。
大学時代うつ病を発症し、現在は薬で何とかコントロールしながら仕事をする日々。
働けている自分が好き、病気が再発して働けなくなった時自分の存在価値がわからない。