10代の出産から別れまでの物語

10代の私が妊娠出産をし、かけがえのない存在の子供が突然の病気で最期の最期まで奇跡を起こした物語です。

私は高校生の時、男友達が多くそのうちの1人が放課後に俺の家で集まろうと言われ遊びに行った。
家に着いた時に男友達が「俺のクラスで退学した奴がこれから来る」と言い、人見知りをする私はとても緊張していた。
そう、ここで来る人が私の人生を大きく変える事になる。

その人は見た目は地味で正直あまり明るい性格でもなく、無口な人だった。
しかし私が一番仲良くしていた男友達と彼も仲が良かったのもあり集まるたびに来るようになり、回数を重ねる毎に話す機会も増えいつの間にか付き合っていた。

そんなある日生理が止まった事に気付き、妊娠検査薬をしたら陽性反応。
すぐに彼に話すと「頑張って働くから産んでほしい」
そう言ってくれた時、素直に嬉しかった。
私の両親に話す機会を設けた時、分かってはいたが大反対。
「子供が子供を産む事になる。そんなのは子供は幸せにはなれないから下ろしなさい。」

絶望したけど、親が言っていることは何も間違っていないんだろうと思い、後日中絶をした。
診察台に寝そべり麻酔から覚めた時にはもうお腹に赤ちゃんはいないと言われ涙が止まらなかった。どうしても私は産みたかったと後悔した。

それから1ヶ月後、また私は妊娠をした。
やっぱり彼との子供が産みたいとただそれだけであんなに反対されあんなに反省したのに同じ事を繰り返してしまったのだ。
私はそこで妊娠した事を隠していこうと考え、出産するまで隠し通した。
隠し通す為には毎日学校に行き、今までと変わらない生活を送らないといけなかったので本当に具合が悪い時以外は頑張って通学したのだった。

もうすぐ一年が終わる頃、学校へ行く支度をしていた時とてつもない腹痛に襲われたまたま仕事が休みだった母親に病院に行きたいと告げた。
病院に行く前に用を足そうとトイレに行くと何かが出てくるような初めての感覚に陥る。
ふと出てきたものを触ってみると明らかに頭だった。
トイレに落としてはいけないと焦り廊下に転がりそのまま出産をしてしまったのだ。
私は意識が無くなり気付いた時には病室で右隣には保育器に入った息子がいた。

いきなり孫が出来て、両親は本当に驚いていたけど私のことを責めず「これから死ぬ気で頑張らないといけないね」と背中を押してくれたのを今でも覚えている。

母子共に健康でそれからは幸せな毎日だったが、息子の父親は日に日に女遊びが激しくなり他の人と子供を作ってしまい耐えられなくなった私は親に相談をし、息子がパパだと完全に覚えてしまう前に別れる事にした。

両親には本当に苦労をかけてしまったけど、悩みが吹っ切れたお陰でシングルマザーとして息子と頑張って行くことを誓った。

しかし、息子が2歳の時突然歩けなくなり検査を受ける事になる。
血液検査の結果骨肉腫と。
手術をして取り除けば大丈夫と言われたのですぐ手術をしてもらう事になった。
退院してからちゃんと歩けるようになり、今までの生活に戻った......はずだった。

2歳半の時、突然食欲をなくし顔が真っ青になっている事に気付き夜間に緊急で病院に行った。
すると今すぐICUに入って入院して下さいと。
明日血液検査の結果が出るので待っててほしいと言われ気が気じゃなかった。

早朝、医者に呼び出され個室に入ると発された言葉に耳を疑ったのだ。

「息子さんは血液のガンです。」

目の前が真っ暗になった。
涙が止まらなかった。
毎日一緒に居たのに一番近くに居たのに何故気付かなかったのか自分を恨んだ。

頭がついて行ってないのにも関わらず、救急車に乗り別の病院へと搬送された。
道中、ただただ涙を流しながら手を握る事しか私には出来なかったのだ。

病院に着くと改めて検査をし、医者から「全身に転移していてあと一日遅かったら死んでいた。」と。
本当に悲しくてたまらなかった。
頭にも腫瘍があるからまずはそこから摘出しましょうと言われ、息子はすぐに手術室に連れていかれてしまった。
戻ってきた息子は頭が丸坊主になり痛々しく縫われた跡が出来ていた。
何も見ても何を聞いても涙はとめどなく流れてしまう。
しかし母親の私がしっかりしないといけないと心に誓ったのだ。

息子は小児ガンの中でも特殊な病気でちゃんとした治療法がなかった。
とにかく息子に合う抗がん剤を投与して経過をみる事しか出来なかった。
抗がん剤は副作用が重く、治療中は毎日吐き気と戦っていた。
とても辛いだろうに息子は弱音を一切はかず笑顔を見せていた。
まだ3歳にもなっていない小さな子供がこんなにも強くて大人に色々と教えてくれるんだなと初めて知った瞬間だった。

ある時医者に呼び出され余命一年の宣告をされた。
目眩がして悲し過ぎて涙が出なかった。
医者の声も聞こえず目の前が真っ暗になった。

それでも私も両親も諦めたくなくてあらゆる抗がん剤を試す選択をした。
もしかしたら息子にとってはどんどん辛くなるのかもしれない。
でも私は僅かな可能性に賭けたかった。

ここでまず一つ目の奇跡。

何種類もの抗がん剤を使用しても微々たる効果しか得られず他の治療方がない中、一つだけ効果がとても見られた抗がん剤に出会った。
外泊許可が頻繁に出るほど息子の容態は安定し、回復に向かったのだ。
あの時僅かな希望を持って色々な抗がん剤を投与する選択をして良かったと心の底から思った。

そんな中、病院の中で出来た息子の友達が2歳で亡くなった。
息子が入院している病棟は同じような難病を患っている子供達しか居ない。
その中の小児ガンで闘病していた男の子が亡くなってしまったのだ。
息子は初めて仲の良かった友達の死を体験してしまった。
小さいながらに悲しかっただろうに息子は触れずに笑っていた。
だから私は隠れて泣いていたのを覚えている。

それから息子は幼稚園に通えない為病院で入園式をさせてもらった。
着慣れないスーツを着て少し照れた表情をしていたが記念に私は写真を撮った。
凄く良い笑顔だったな。

春夏秋冬、色々なイベントを病院では行ってくれて退屈せず子供達は過ごせていたからお母さん達も嬉しそうに笑っていた。

余命宣告されたのが嘘のようにあっという間に一年が過ぎ、あっという間に入院してから三年が経っていた。
私は相変わらず毎日朝から晩まで面会をしに行っていた。

息子が5歳と3ヶ月の時、また医者に呼び出され話を聞いた。
「余命宣告をしてからもう五年が過ぎ、奇跡を起こしましたが今まで投与していた薬がもう効果を出していない。腎臓が肥大してしまい痛みが出ている為、今日から痛み止めを投与します。ですが、もう心の準備はしておいてください。」と。

もう私は気付いていた。
三年も病院に通っているとあらゆる知識が身に付いたし、自分で少し勉強もしたお陰で現状の息子がもう危ない状態だと。

それでも。最期の最期まで諦めない。
それが私の気持ちだった。

息子が6歳になり病院で誕生日パーティーを挙げてくれた。
でもその時息子はとても体調が悪く笑う事も出来ずにいた。
抗がん剤をずっと投与した事によって身体は黒くなり、水分も口からなかなか取れず唇は乾き、腎臓の痛みを和らげる為の薬を1分おきに投与するほどだったのだ。

そんな状況で家族はみんな笑顔だった。
不安な顔は息子の前でするものじゃないから。
笑えなかったけど辛かっただろうけど息子も本当は楽しかったと思う。

年を越し、一月。
私はいつものように病院に向かった。
ずっと体調が優れずあまり喋らなかった息子が病室に入った瞬間私に話し掛けてきたのだ。
弱々しい声だったけど
「一緒にこのDVD見たい」って言ってくれた。
私は嬉しくて一緒に見ようと言ってそれを再生した。
息子に寄り添いながら背中をさすりながら見ていると急に息子が
「眠くなっちゃったから、少しだけ寝るね。」
って言ってきた。
毎日痛みと戦ってるから寝れる時に寝て欲しくて分かったよと言って横にして頭を撫でてあげた。
そうするとすぐに眠った。
私は少し外の空気が吸いたくなって看護師さんに一声かけて外に出た。

何故か私は空を見上げて
″ここに来るのも最後かぁ″と心の中で言っていた。
この時私にはこの後の展開が分かっていたのだろうか。今でも不思議に思う。

病室に戻ろうとしたら息子の病室に何人もの看護師さんの姿が見えた。
みんな焦っていて他の病室からお母さん達が心配そうにこっちを見ていた。

嫌な予感がして走って向かうと、
容態が悪化して危ない状況と。

私は気が動転し、足が震えどうしたらいいか迷っていると医者が私に向かって言った。

「大丈夫ですよお母さん。息子さんはお母さんのお腹に戻る準備をしています。」

涙が止まらなくなった。
震えが止まらず立っている事が出来ず椅子に座らされ、息子を抱っこしてあげて下さいと言われた。

抱っこしてあげたくても治療や痛みでなかなかしてあげれなかったから久しぶりに息子を抱っこして思った。
こんなにも軽く、痩せ細ってしまったんだと。

名前を呼んでも応えてくれない。
大好きだよと言っても笑ってくれない。
ごめんねと言っても怒ってくれない。
身体も動かない。
だんだん身体が冷たくなっていくのが分かり、その瞬間心電図が0になった。
ピーという音と共に私は周りを気にする事もなく大声を出して泣いた。

両親は間に合わず、私だけが看取り私の腕の中で息子は天国に行ってしまった。

現在、息子が亡くなって7年が経つ。
月命日と命日には必ず息子に会いにお墓詣りに行っている。
息子が亡くなってから一年間は信じたくなくて立ち直れなくて引きこもり気味になり、姉の子供でさえ毛嫌いしてしまった時期もあった。

でも、息子は生前私が泣いていたりくよくよしているととても怒って私の頭を叩いていた。
それを思い出し、前を向かないと元気に過ごさないと息子の為にならないし息子の頑張りを無駄にしてしまうと思い私は心を入れ替えた。

今でも毎日息子との写真を持ち歩いていて、挫けそうになった時写真を開いて涙してしまう時もあるけれど息子の為にも頑張って生きて行こうと思っている。

世の中には自分の子供を亡くしてしまった人は沢山いると思う。
自分の子供が余命宣告をされた人もいると思う。

けど、どうか諦めないで。
余命宣告はとても辛いけれど、人の命は諦めなければ寿命は延びる。
何かしら手があるかもしれない。
だから絶対に諦めないでほしい。
1日でも長く生きていってほしい。

例え亡くなってしまってもとても悲しくてもその子の為に、強くなってほしい。
天国からちゃんと見守ってくれているから。
自分が最期まで生きて、天国に行ったらまた再会してそこで第二の人生を歩んでいったら良いと私は思う。

このような体験をした方達に幸せな毎日が送れることを祈っています。

このノートに思いを伝える

投稿するにはログインしてください。

コメントの投稿

運営委員が確認した後掲載されます。

0/300文字

利用規約 に反する書き込みは掲載できません。
コメントは運営委員が確認した後反映されます。

あわせて読みたい お坊さんのことば