これからもよろしく

最後はお父さんの望んでいた自宅でした。でもそこまでにはたくさんのドラマがありましたね。
定年を迎えるまで、大きな病気をせず、私たちのために努めてくださいました。そして10年前の67歳の時から、いくつもの困難を乗り越えて、ハラハラドキドキさせてくれました。
1度目はちょうど10年前、早朝に自転車での出勤時、後方から車に追突され飛ばされました。ICUに入り一命をとりとめ、リハビリをして復帰。離婚をして私と二人暮らしをしていて、私が結婚が決まった時でもありました。
2度目は7年前、私が妊娠8が月の時、一人暮らしをしていた父から連絡を受け病院に緊急入院が必要だと聞きびっくりしました。原因不明の難病重症急性膵炎。3人に1人命を落とすと医師から言われたとき覚悟もしました。それでもみるみる回復を見せてくれ、また笑顔で退院できました。
3度目は5年前の初期の胃がん宣告。私がやはり二人目妊娠7か月。手術は成功したものの、のちの癒合不全でまたICU。この時は予断を許さない状態が長く続き本当につらかった。時間はかかったけど、ある時から回復をして、時間はかかったけれどリハビリをしてまた一人暮らしにもどれました。つよいな、と思いました。
4度目は私が本格的に仕事に復帰した時、職場に救急からの電話。お父さんが自転車で転倒し大腿骨を骨折と。ああ、またか・・・。そんな気持ちが申し訳ないながらも出ましたが、持ち前の強い心でリハビリに取り組みまた一人暮らしに戻れました。
でも5度目は難しかった。急な体調不良で判明したすい臓がん。今までも何度も乗り越えてきたんだから、という気持ちとは裏腹に日々、通院ごとに現実を突きつけられました。それでも、お父さんは残された時間をどう過ごすか、最善の方法を前向きに考えていたね。これから先、1度も取り乱したりすることなく、私たちといるときは笑顔でいてくれたこと、本当に感謝しています。なくなる2か月ほど前「もういいよ、お前たちは長く生きてほしいと思っているだろうけど、これ以上は。」手術に向け抗がん剤治療をしていた父でしたが、穏やかにそう告げました。そして私は仕事を休み、父の療養に専念しようとした矢先、緩和ケアに移って間もなく、モルヒネの効果の中で最後は痛みを感じることなく、穏やかに自宅でお別れとなりました。二日前に在宅での限界を感じ、病棟に入る手続きを進めているところでした。お父さんは自宅での最後を選んでいってしまったのかな。自宅での旅立ちを望んでいた父に申し訳ない気持ちがどうしても残っています。ごめんね。
 父がなくなり一年、命日の2020年8月4日の朝、父の葬儀の時にエントランスに置いていたハイビスカスの花が今年初めて開花しました。驚いたことに、弟の家にも一鉢いただいたハイビスカスの花が、やはり8月4日に今年初めて開花したと聞きました。きっとお盆のこの時期に会いに来てくれたんだね、と話しました。きっとそばにいてくれる、今までありがとう。これからもよろしくお願いします。

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