強き人
私の母は去年亡くなりました。母は働き者で家事も得意で友達も多く歌も大好き。特に美空ひばりが大好き。
初めてプレゼントしたのも美空ひばりのビデオです。
踊りも得意で小さい頃に町内の盆踊りに参加した時は私は必ず母の向かい側に入り踊りました。なぜかと言うとイキイキと上手に踊っている母を誇らしげに見ていたかったから。
60歳を過ぎても介護の派遣会社に登録し夜勤もこなしていましたが突然父を亡くし、立て続けに怪我をし、仕事を辞めてからは段々元気もなくなり食も細くなり。それでも3人の孫の成長を励みに過ごしていました。
大きな変化になったのは4年前の大腿骨折です。手術後せん妄が酷く3ヶ月後に退院は出来ましたが認知症も発症してしまい。
ただやっぱり母は凄かったです。
手術前に車椅子になると思ってて下さい、と病院で言われてましたが手押し車で歩ける様になり。その頃通い始めたデイサービスでも運動会では1番。施設から写真を貰い本人にそれを見せ、すごいねーと言うと、私負けたくないから!と嬉しそうに得意気に言ってました。
昔からおしゃれだったのでデイサービスにも自分で服を選び通ってました。
楽しい日々ばかりでは無かったです。段々と忘れていく自分にイライラしゴミ箱を投げられた日もあります。腹も立ち喧嘩をした日もありましたが必ず寝る前に、私より母が辛い思いをしてるんだ、と思い反省してました。
そんな日々を繰り返してましたが一年前に大動脈弁狭窄症で入院。そこからは濃密な3ヶ月を過ごす事になりました。
毎日病院に行き、段々食べなくなって行く母に体力を付けて欲しく冷えたメイバランスを毎回持っていき、大好きだった歌番組を見せ少しでも元気になる様に、と。
誕生日も病院でお祝いしました。その日だけは主治医の先生に合意をもらい小さなケーキを用意し病室で私と姪っ子、姉はTV電話でお祝いしました。片耳にはイヤホンで天童よしみを聞き、頭にはキラキラな三角帽子を被り、楽しそーに、嬉しい嬉しい幸せ幸せと泣いたり笑ったり。
次の病院では自分で起き上がる事も出来なくなり、私は毎日桶とタオルを持って細くなった手や足を拭いて。その度に「ありがとうありがとう、私は幸せだ」と毎回言ってくれました。
入院してから3ヶ月少し経った朝病院から電話があり、急いで駆けつけましたが間に合わず。
認知症を発症してから今まで母と共に試行錯誤し後悔だけはしたくない!と頑張って過ごして来たのに、最後の最後を一人で逝かせてしまったことが唯一の後悔になってしまいました。
寂しかっただろうな、もっと何か出来なかったかな、温泉に沢山連れて行ってあげれば良かったな、そして何より本当に幸せだったのかな、毎日毎日自問自答し思い返していました。
私がいつの日か母と同じ場所に行き、会えた時には1番最初に「お母さんは幸せだった?」と聞いてみたいです。