怖い家でいつもそばにいてくれた無邪気で優しいキミへ
幼い頃から極度の人見知りとコミュ障でもあったわたしは、幼稚園の頃に迎えた小型犬だけを友だちとして過ごしていました。
また父の激しい暴力と罵声に怯えた幼児期を過ごしたことで、家族と呼べる存在も、その犬だけといってもよかったのです。
頭の良い犬種だったので、子どものわたしは半分なめられているのだろうと思える行動を取ることもある犬でしたが、わたしが落ち込んでいるときに見せる慈愛に満ちた真っ黒な目は、決してわたしを心から見下しているものではなく、「いつも一緒だからね」と言葉なき思いが伝わってきていました。
春は桜の下を、タンポポやレンゲの咲く道を、夏は涼しい時間を選んで汗をかきながらヨレヨレのわたしを引っ張り、秋はトンボの群れを不思議そうに見る姿がなんだかおかしくて…冬の寒さにも負けない元気な小型犬の姿が今も目に焼き付いています。
6歳だろう、と母が曖昧にいう、それほどいい加減な家族でした。
40年も昔、犬を飼うという感覚はそれぐらい「なんとなく迎え入れる」レベルだったのです。
父に殴られ蹴られ、泣いているわたしの涙をなめ、猛り狂う父から逃げもせずにわたしのそばにいてくれた小型犬は、まだまだ暑い盛りの夕方を迎える頃、わたしの目の前で静かに息を引き取りました。
ねえ。
今もわたしを見てくれてますか?
虹の橋があるなら、待っていてくれますか?
どれだけ時間が経ってもキミはわたしの妹で最高の友だちです。
わたしは年を取ってきて、そちらで会える日のほうが近づいてきました。
キミは若返ってそちらにいるんだね。
わたしはどうだろう?
キミを精いっぱい抱きしめたあと、あの頃と同じように、元気に一緒に走り回れるだろうか?
今はね、キミの妹にあたる子たちもいるよ。
わたしより先にそっちに行くから、そうしたら、みんなで一緒にわたしを待っててね。