祖父が亡くなった時、小学生の頃の私はなにもしてあげられなかった。

私が小学6年生の頃、母方の祖父は肺癌で亡くなりました。
まだ69歳でした。
祖父はとても細身で、白髪が生えるたびに黒染めを繰り返し、祖母とよく喧嘩をして、タバコとお酒とパチンコが大好きな人でした。
飲みに行ってなかなか帰ってこなかったり、多額な借金を抱えたこともあったそうです。

そんなこともあり、幼い頃から私は祖父と会う機会がなかなかありませんでしたが、私が幼稚園児の頃、家に帰ると玄関の扉に紙袋がかかっていることが度々ありました。
中身は、当時私が大好きだった玩具やお菓子でした。
「おじいちゃん来てたんだね、きっとプレゼントだよ」
と、何度か祖父からプレゼントをもらうことがありました。

それから数年が経ち、小学6年の夏のこと、家族全員で祖父の家に行こうと両親に言われました。
私はその日はすでに友だちと遊ぶ予定が入っていて断ってしまい、両親と弟達だけが行きました。

なぜ家族全員で行こうとしたのか、後に理解しました。
肺癌が見つかった祖父が病院で入院する前の元気な姿で家族で一緒にいられる最後の日だったのです。

その年の秋、学校から家に帰ると母から突然言われました「おじいちゃんが今入院しててね、会わせたいから一緒に病院行ってもらっていい?」と。

私はこの時まで、祖父が入院していることは知りませんでした。

頷き病院にいくと、もうすでに私が知っている祖父ではありませんでした。
体が収縮し、なにも口に運ぶことができず、痩せ細った状態でベッドに横たわっていました。
母が私を連れてきた事を祖父に伝えると、見えづらい視野の中で一生懸命、成長した私の姿を見ようとしてくれました。

その頃の祖父の目の大きさは今でもよく覚えています。
小学生ながらに、回復が見込めない事はすぐにわかりました。
初めて「人間の死」を目の当たりにした私は、正直に言えば「悲しみ」と「恐怖」で祖父になにも声を掛けてあげられなかったのです。
母が泣くのを堪えて必死に笑顔を作りながら祖父に声を掛ける姿を見て、絶対に泣いてはいけない、笑顔を絶やすな、それだけしか出来ませんでした。

そして次の日、祖父は亡くなりました。
私が学校に行っている間のことでした。
病院に行くと危篤だった祖父はすでに息を引き取り、穏やかな表情になっていました。

あっという間に葬儀が終わり、一人で部屋にいたり、公園でブランコになっていたりすると、どうしても涙がでてきました。

プレゼントを受け取った時、その都度ありがとうと言えなかった。

どうしてあの時、入院前に友だちと遊びに行かず祖父に会いに行ってあげなかったのだろう。

最後に会えたのに、どうして一言でも声を掛けてあげられなかったのだろう。。

今年私は30歳になりますが、今でもこの気持ちだけは忘れられません。
今でも、祖父を思い出すと涙が出て、伝えられなかった感謝の気持ちと共に、後悔をしてしまうのです。

Ayumuと申します。よろしくお願い致します(^^)

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